負荷記録

第73回 奥多摩渓谷駅伝(5th leg/8.4km)

http://www.city.ome.tokyo.jp/taiiku/73ekiden.html

記録は手元計測で34分40秒。
山下りなのに思ったよりスピードが出ず、なんだか最後だけ苦しくて終わっちゃった感じ。
まあ、フルマラソンからの日数を考えると疲労が残ってても仕方ないし、そう考えるとフルマラソンのダメージってホント気をつけないと怪我に繋がるもんだな。
フルを5回走ってみて、既に来年は3大会エントリーしているので、そこんとこは肝に銘じないといかん。


あと、フル用にキロ5で練習していたのも、スピードが思ったより出なかった原因かも。
キロ4分15秒ってすごい世界なんだなあ、サブスリー


結局何となく不完全燃焼で、そのまま家路についたが、疲労抜きで温泉入ってくればよかったと、そこも後悔。



後悔先に立たず、な一日だった。


次回レースは足立区の10kmなので、それは後悔しないように前半からぶっ込む予定であります。
こういう苦しみに比べると、仕事の辛さとはまた違うんだなーと実感。
よくよく考えると、今までの人生って何か時間や努力や労力をかければ、少なくとも数年以内に結果が出ることを積み重ねてきていた気がする。


それに比べると、「見返り」と言ったら聞こえが悪いが、リターン(「益」という概念ではなく、リアクションに近い)が来るまでの時間が読めない、いやもしかしたら来ないかもしれないっていう局面を学ぶのはやはり社会人になってからだったんだと思う。
「レール」とは違うが、少なくとも学生のときにいた環境なり、マラソンの練習なりはある限られた範囲の中でのパフォーマンスの向上、が目的であり出てきた結果であったわけで、
例えば人を動かすとか、顧客に対するサービスを追求するとか、組織を考えるとか、世代間の連携や価値観のギャップを埋めるとか、そういうのは大前提立ち向かったところで結果が出ないかもしれない、ってことに今まで気付いてなかったんだと思う。
けど、そういうことに気付いた大部分の人間はそれをあきらめたり、組織を去ったり離れたり、新しい環境に挑戦してみたり、自分の思い通りになる環境創りにシフトしていったわけで、そういう局面まで含めて視野に入れて自分の今後を考えていかなきゃいけないんだろうな、そんな年齢になってきたんだと感じるようになってきた。
少なくともここんとこ本当にしんどい日々が続いていて、逃げ道を探そうなんて思ってないがめげかけていたのも事実で、そういうことをマラソンやロードレースに照らし合わせてふと考えをめぐらせてみた。


思考の筋トレとケツ割れは続く。