go with the flow

大きなプロジェクトの応募があり、この2ヶ月は慌ただしかった。


殆どが初めての試みであり、対応できるかどうか、応募をしていいのか、そういう精査から始まり、セクションを横断する指示系統を構築し、耐えず情報を流し続けた。
他部署や関連企業に不手際があっても文句を言わず、直前で誰もが冷汗をかく局面でも前向きに、後輩が動転していてもあわてずに、「人を動かす」ことを最優先した。
それでも難しい局面は、自分で打開しようと突っ走った。


水曜日に相手企業の経営者会議でプレゼンテーションをした。
それまで対応窓口になっていた幹部は、心なしか当社を応援してくれているような気もしていた。
しかし役職のあるその幹部でさえ、最終プレゼンテーションの場では経営陣の末席。
ああ、こうやって上へ上へと挑んでいかなければならないのだなと感じながらプレゼンテーションを始める。
正味30分で伝えたいことは全て言い尽くした。
これが現時点での最高の出来だ。そう思ったし、そう信じた。
後悔が残るようなことはしない。
そう決めて臨んだ。


そこからは結果を待つまでの精神的な苦痛と対峙しなければならない。
本当はどっしり構えていたかったのだが、周囲も結果を期待して待っているし、色んな騒音をカットすることですら困難だった。
俺は宗教じみたことを言うつもりはないが、物事の流れや向き合い方ってあると思っている。
下手すりゃ、結果の待ち方が結果を左右するとすら思っている。
待っちゃいけない。
俺は普段の仕事をするべきなのだ。
今日の結果がどうであれ、今日の失敗や成功がどうであれ、今日の運勢や好きな人の反応がどうであれ、明日の仕事とは関係ないのだ。
今日と関係なく明日が来る。
そういう考えに基づいて行動をしている。
そこに予測や期待はないのだ。


しかしまだまだ未熟だった。
プレッシャーにめげそうになりながら、やっぱり何か拠り所を探そうとしていた。
仕事が手につかない。


結局、結果は一日遅れの金曜日に電話で来た。
落選だった。
意外とこういうものはスッと受け入れてしまうもので、そこに気持ちの弱さもあったのかもしれない。
だが落とした競合先の名前に納得がいかなかったのも事実で、そこからはただただ悔しかった。
企業力のせいにはしたくない。
自分達の準備やプレゼンた甘かったのかもしれない。


それでも。



反省点や企業としての改善点は色々とある。
それはそれで精査するしかない。
それでも自分自身は色んな貴重な経験をさせてもらっている。
ああいう場所に出られたのも数少ないイレギュラーな機会だろう。
また、メンバーのオーガナイズなど、とにかく自分から発信することばかりで、建設現場で動くこと以上のクリエイティブな発想を要求されたし、そういう意味で大変な成長になったと思う。


しかし、一緒にやっているメンバーはどうだったか。
期待を背負ったり、会社の代表で出たり、そもそもプロジェクトの中心として動く自覚があったか。
他人のせいにせずに自分の出来る可能性を探ったか。
現状の自分の戦力値を把握できたか。


言ってみれば、これは環境やプロジェクトの大きさではなく、あくまでも自分個人のことである。
それが精査できなかったら、今後どんな規模の案件が出ても、或いはどんな職域での仕事をするにしても、自分の可能性が限定されてしまう。
そういうことを、今回の案件で感じることができただろうか。


これは俺自身が教育的な見地で相手と接することができたかどうかにもよる。


反省すればキリがないが、心に留めておくことは本当に多いのだ。
これで終わりでなく、じっくり考えて次の一手として磨かなければならない。





それにしても疲れた。
気持ちの吐き出す処が無く、結局1人で巣鴨で寿司を喰らって家路についた。
ビールを流し込み、涙まじりのため息をつきながらこんなことばっかり考えていた。