伝えるのはいつも困難だね

東京マラソンをそこそこ納得のいく記録で走れたことを書こうかと思っているうちに、直属の上司が亡くなった。
月曜の夜中に具合が悪くなり、救急車で運ばれ、二日後に亡くなってしまった。


心筋梗塞だった。
そして52歳だった。


直属の上司が亡くなったのは初めてだが、7年前の元上司や、入社直後の人事課長が亡くなったときのことも思い出し、
何とも言えない気分になる。


みんな亡くなる年齢が近い。


どーすんの。



10年社会人をやって、これまで以上に課長の仕事や目線が身近になってきたから、
彼がかけてくれた色んな言葉が、今までの上司以上に自分の内側に直結して、血肉になっているのを実感する。
もう少し聞きたかったし、技術や構えを盗みたかった。


酒も煙草もやっていたし、血圧も高かっただろうし、何より休まない人だったので、相当負担がかかっていたんだろう。
営業会社で月末になるとピリピリと機嫌が悪くなるのも毎月だった。
それに対し「それは違う」と反抗してもちゃんと議論になったし、
先日「たまには午後7時に家に帰ってみてください。
家に帰るモチベーションが誰よりも低いです」
という話から、
「異なる年齢や境遇の人が同じ部署で同じ時間を共有しているんですから、それぞれ異なる人生の時間軸を重ねていることをもう少し考えてください」


なんて話をしたばっかりだった。


やけに納得していた。


販売記録を持つような大変有名な上司だったので、俺も彼の時間軸をマクロでとらえることが多かった。
彼自身も、家を売り、ローンを返し、年に二回は家族を海外に連れて行き、生涯年収をいくら、という目標に向け歩いている、と自分の人生を端的に表現することもあった。
その通りだと思ったし、その通りの人生だった。
彼は彼の人生を納得感を持って歩んでいた。
けど、その納得感を持つ為に色んなことを切り捨てたんだろうし、勇気が必要な場面も多かっただろう。


そういう強さがある人だった。


「まだ見ぬ領域が存在するんじゃないか、ちょっとそれ考えてみるから、お前も考えてくれ」
って言われたばっかりだった。
それ考えながら供養に充てようと思う。