思考のケツ割れ

ささっとアタマに思い浮かんだことをそのまま精査せずに書き記すことにする。


陸上競技をやっていた人はわかると思うのだが、400mや800mを走るランナーは、無酸素運動の限界値を攻める。
一般に、無酸素運動の限界距離が400mと言われている。
無酸素運動って言ったらちょっと想像つかないかもしれないが、まあ言ってみれば泥棒が必死で警官から逃げたりする場合、無我夢中で走る限界が400mってことか。
ちょっとわかりにくいか。


で、そんな距離を限界まで走ると、体に乳酸が溜まりまくり、それでもさらに体を動かそうと脳が指令を出し、体がむちゃくちゃになる。
結果、ゴールしてから臀部(シリ)が物凄い痙攣を起こし、全く使い物にならなくなりしばらく激痛に悶えることになる。



これを我々は「ケツ割れ」と呼んでいる。


これを経験すると、ちょっとした追い込み・追い込まれ方に対しては免疫が出来てしまうので、どんなことやっても「800mのラストに比べたら・・・」、みたいな感覚に陥ってしまう。
そんなわけで、高校の時の陸上部の後輩と会い、「それこそケツ割れ起こすレベルまで仕事で自分を追い込んだことがあるか」みたいな話になり、結果「何か壁にぶつかっていることがあればそれをとことん議論しよう」となり、じゃあ脳みそケツ割れ起こすまでとことん話そうってことで話がまとまった。



それを俺たちは「思考のケツ割れ」と呼ぶ。



8月31日、日本の夏休みのおかげで日付が変わると同時に夏が終わる感覚を持って育ってしまったので、なんだか寂しい気持ちにもなりつつ会社で仕事の締めを迎えた。
今月は仕事もプライベートも低調だったなあと思いながら、会社でわけのわけらない会議を乗り切り、23時頃会社を出て、向かうはラクーア


何でかというと、前回オカモト君と議論をしたのは新宿での飲み会の帰りだったのだが、結果その時も話し足りなくてラクーアに駆け込んだのだった。
だから今回はあらかじめラクーアでってことで。


日付が変わる頃落ち合い、お互い風呂入って、そこからビールを飲みながらひたすら議論。
開口一番「結局論点ブレませんよね」という彼の提言にそこから論点を延々落とし込んでいく。
結局会社や環境が違えど、感じる疑問や問題意識は似ていて、彼はそれを「世代間の連携」と「"おもり"の時間軸」という言葉を使っていた。
俺にしても、新入社員から嘱託社員や役員まで幅広い年齢層のいる会社に籍を置いている現時点で、その世代間の連携の必要性と、それを感じざるを得ないような物凄い価値観の温度差に驚きながら日々仕事をしている。
そんな中で、「ベンチャーに籍を置くことや起業することのメリットはまさにそこではないか」とも考えるのだった。
結局、ある年齢軸で切り取ったとき、つまり「20代のとき」とか、「30になったとき」とか、その時どんな時代を過ごしていたかで、考え方の蓄積や無理の仕方が全く変わってくる。
それはまあ当たり前のことなのだが、特定の年齢軸で切り取るのではなく、今度はある特定の時間軸で切り取った場合を考えたとき、そこに対する価値観が全く違うのだ。


それが最近最も顕著に飛び出てきたのが、震災である。
これはある特定の年齢軸で体験するものではない。
つまり、今誰が何歳であろうと突然体験する事象なのだ。
31歳の俺が体験するのと、50歳の人が体験するのと、または80歳の人が体験するのと、その後のリアクションが全く違う。
「必死に生きる」ということは同じでも、思考プロセスや価値軸が全く異なるのである。
俺はこんな2011年を学生のときに体験してたらどうなったんだろう、なんて想像することもある。



寄付金や基金を配給する行政がパンクしていたり、とんでもないテロップを流す番組があったり、放射能って言えば色々買い占めてみたり、節電って言われれば夜通し何も使わず体調崩してみたり、申し訳ないがそこに「考えていない人たち」が確実にいるのだ。
そして同じように本気で考えていない人たちが身近な在籍する企業の中にもいたり、本当にびっくりすることが多い。


そこ、何とかしなきゃって思うんだけど。


そんなところから始まり、企業の構造的な問題や時代背景、「議論をするための頭」の話や刺さる言葉、誠実さや一生懸命さについてなど、色んなことを言葉に出し、仮眠を取る。
朝起きてまた風呂に入り、昼過ぎまで今度は今後出るマラソンについて予定を立て、難易度の高いコースや35km過ぎのエネルギーの枯渇について喜々としながら会話を繰り広げ、いったん解散。


19時にまた集合し、今度は大学の陸上部の先輩のニシムラさんとも合流し、彼の立ち上げた会社を見学し、3人で四川料理を食べる。
なんとなく、自分の異なる環境、つまりは高校の繋がりと大学の繋がりと、俺が尊敬をしている先輩後輩を繋ぎ合わせたら面白いだろうなと思い、顔を合わせた。
共通するのは三人とも800mをやっていたこと。
俺は2分ちょうどぐらいでしか結局走れなかったけど。
たまたま連れてってもらった四川料理のレストランが世界陸上放送してたこともあり、何だか全て場所や空間や人を用意されたような感じがして非常に楽しかった。
そこでの話題は「ロールモデルの不在」。
起業をしている人が会話のメンバーにいるからこその視点と内容だった。
企画屋が儲けていた時代も終わったし、スポイルされる世代は全て機械が相手をしてあげる時代も来る。


切り取った座標軸での「トップランナーでいること」を後輩は非常に強調していた。
そういう意味で言えば、間違いなく二人はトップランナーだ。
俺がそうかは疑問だが、そうでありたいと常に思っている。



そして、「トップランナーでいること」と「ブレない方法」に関して、俺は「座標にプロットして、ログを取る」と言い、後輩は「リスクを取る」と言い、先輩は「突き抜ける」と言った。
そんな三者三様、本当に楽しい一日だった。


最終的には、
「風土・姿勢・理念など、見えないものが伝承される、ミーム的なものを考えると、雙葉出身の女の子はいいんじゃないか」って。



フタバアンテナを張れ。


別に雙葉じゃなくたっていいんだけどさ。