on my way from far east

ハワイからの帰路である。



同僚の結婚式があり、4月12日からハワイへ来ていた。
帰りのフライトの中、マイティソーと攻殻機動隊を観て、一息ついているところ。
到着予定時刻は22時。
明日は1週間ぶりの会社である。



ハワイでは新郎新婦より先に到着し、ホノルルハーフマラソンハパルアへ出場。
ハパルアは現地の言葉で半分だそう。


そもそも同僚の結婚式がハワイで4/15だと聞き、何の気なしに海外のレースを検索してみたらあった大会。
ホノルルマラソンは走ったことがないが、それのハーフがあるとは知らなかった。
人数もそんなに多くないらしい。
いいじゃないかとノリで登録。
一緒に挙式に呼ばれていた後輩にも言ったら、これも二つ返事で参加を表明。
というわけで二人で先に現地入り。


4/12は、直前まで仕事。
相変わらず段取りが悪いからなのだが、バタバタしながら羽田空港へ。
後輩と19時に集合し、23時40分のフライトまで二人で飲む。

「どうして異動することになったんですか」


後述するが、4月から異動で新宿勤務になっていた。
4月1日から同じ会社でもまったく違う環境で働いている。
今回の人事異動で話を聞きつけて連絡をくれる人もいたが、会って話すことができた人には説明をしていた。



話しているうちに目的が明確になってきたのだが、目的は二つ。
一つは自分自身のスキルアップ
もう一つは、辞めてしまう後輩を減らすこと。
つまりは会社の仕組みにまで目を向けたいと思ったことだ。


残念なことに「自分ばかり勝手に行動しやがって」なんて言ってくる上司もいたのだが、本来勝手で良いのである。
そこに上下関係や力関係やしがらみやなんやかんやが加わって、身動きがとれなくなってくるだけであり、社会性を保ったまま自分自身で意思決定を下し続けることが本来の人生の歩き方だと思っている。


意思決定のタイミングはやはりあって、人員募集で公募も行っていた。
その時点で本来平等にある権利である。
結果、全国から強い意志を持った人員が集まってきていた。
50歳を過ぎ、単身赴任で東京に引っ越してくる人もいた。



それと、自分が強く師事をしていた上司が亡くなったことも大きかった。
まだ見ぬ世界がある、と。
それは異動先の環境とかでは全くなく、「まだ当社にとって未開拓な領域がある」ということであった。
まさに自分の3月までいた部署の名の通り、市場を開拓する使命があると。
躊躇もしたし、自分が残らねば、と思う気持ちもよぎったし、異常な緊張感の中年度末の3月が始まり、結果それは自分の意思決定を強くすることになった。



社外の人から見れば、単なるグループ会社内の異動である。
拠点も東京から変わらない。



それでも、10年間現場でやってきた自分としては大きなタイミングである。



自分自身の失敗や成功にし喜怒哀楽するとともに、こと最近は、「スーパープレイヤーとして記録を残してきた上司たちの、彼らの感覚的な思考の体系化」を試みようとしていた。
教育だなんては思っていない。
ただ、それが後に続きこれからフロントで戦う人たちが迷わない、不安にならない、心が折れて辞めない、そういう環境のヒントになるのではと思ったからだ。


前述の通り、3月は異常な緊張感の中始まってしまった。
通夜のスタッフもやり、引き継げるものは引き継ぎ、連絡をし、通常の業務に集中しようと課員全員が無言の意思決定を下していた。
遺族が職場に来た。
何を伝えたかったのかはわからないが、少なくとも会社に文字通り骨を埋めた上司の人生を確認しようとしていた。
そんなことに囲まれながら、今やるべきことを一生懸命やった。


31日には、異動の内示が出た人、あるいは今年度で退職する人の話などが飛び交っていた。



辞める人が意外で驚いたり、このチームでできる最終日だったり、自分の異動も周りには言えないまま新年度に向かって時間に押し出されていくような感覚を持った中、隣の課の課長が我々の課の二年目の女性社員の営業同行をし、条件の厳しい中、最終日まで結果がわからなかった中、結果を出してきた。


そんな光景を間近で見て、思わず泣いてしまった。
こういうことってあるんだなあって。


10年年度末を経験し、異動も何度かあったのだが、今回の雰囲気は特別だった。
自分の意思決定や外部の不可抗力や、「それと関係なく今の仕事をやり切る強さ」や、いろんなことで人間が試されたような一ヶ月だった。


自分自身で言えば、仕事の精度は相変わらず完璧にはならず、
毎日憂鬱な瞬間や冷や水を浴びせられるような瞬間がある。
所謂顧客サービスを追究した仕事の宿命でもあり、自分自身の弱さの確認でもある。
それでもこの3月で味わった気持ちをなおさら風化させずに、一つ一つ丁寧に仕事をしたいと思った。


明けて4/1からは休日は3月までの引き継ぎで休みもなく過ごすことになった。
新しい部署で課せられたことと自分の求めていること、求められていることも一致している。
あっという間の3年間だろうし、3年後は2020年のオリンピックに関連した建設不動産の最後のピークだと考えている。
一番重要である。
自分が今の年齢で色んなことを経験させてもらえていることと、その重みを感じている。



そうこう言いながら、2週目の火曜水曜は休みをもらって父の術後の検診で諏訪赤十字病院へ。
4年前の4月1日に手術だった。
車で父と諏訪へ行き、CTを受けてから空き家になっている父の実家へ行き、一泊して翌日血液検査と検診。
半年前の去年の10月の検診の際に予約を入れたのだが、この時すでに同僚の結婚式の日程がアナウンスされていたので、その前の週の火曜水曜で入れたのだった。
4月の異動で土日休みになり、見事に仕事とぶつかってしまった。
幸い理解のある上司で、恐縮しながらもしっかり休みをとってしまった。
これ振替休日になるのだろうか?



そんなこんなでそのあとすぐにハワイ。
到着して翌日は4時過ぎに起き、5時にホテルを出てスタート地点へ。
スタートはモアナサーフライダーのすぐ近く。
夜明け前だが道路は封鎖され、ランナーで賑わう。
この雰囲気が海外のレースはたまらない。
アドレナリンが出まくる中、少し空が薄明るくなった6時に号砲。
残念ながら東京マラソンのあとロクに練習しておらず、東京マラソンのハーフ通過である1時間33分より遅い1時間36分でゴール。
全体3000人弱だそうだが、全ランナー中67位で年齢性別のカテゴリであるM30-34で11位。
ダイヤモンドヘッドの周回が最後に控えており、登り坂で見事に脚爆裂。
つらかったー。



後輩も2時間22分で初ハーフマラソンを見事完走。
やるもんだ。


夜はアラモアナの映画館で、「Captain America the winter solder」を観に行った。
3Dやばい。
かっこよすぎた。
ポップコーンは多すぎた。
もう一回観ちゃうかもなー。


翌日は海入ったりプールサイドで日焼けしたりダラダラ過ごす。
予定詰め込もうかとも思ったがやめた。
本当にダラダラした。


4日目に同僚の挙式。
キャルバレーバイザシーで海を見ながら祝い、カハラホテルでレセプション。
海が綺麗すぎた。
こんないい機会を与えてくれた同僚に感謝。
字が絶望的に汚くても許す。
彼の入社から今までを見ていて、挙式も目の当たりにし、色々と思うところがあったが、またゆっくり話をしようと思う。



最終日はアラモアナで買い物をし、帰路につく。
今回ホノルルのAppleStoreでJawboneのUP24を買ったので、ホクホクである。
もうなんつーか、ホクホク。


仕事で辛いことは多いけど、こういう少ない時間のありがたみも感じながら、色んな事が起こる人生と向かい合いながら丁寧に過ごそうと決意する帰り道。


まだ時間があったのでテッド観たけど、いい映画すぎて泣けた。