伝えるのはいつも困難だねだからダーリン


「手紙が届いたよ、ありがとう」
「最近どうしているの?」
「今度うちのマンションの大規模修繕あるんだけど、相談にのってもらえない?」
「忙しくやってるみたいだね」
「シカゴに来ない?」
「ブログの記事、何言ってるのか全然わかんないんだけど」


そういう言葉をいろんな人から立て続けにもらったので、少し整理してみる。
色々俺も混乱していた。
けどもうすぐ30歳だしね、長く付き合った20代を総括しないとね。
仕事中だけど、ちょっと休憩してこれを書いている。



最近はといえば、父親に胃癌が発見された。
結局今手術が終わって退院を待っているんだが、びっくりするぐらいの1ヶ月だった。
弟が3月まで長野の病院に勤めていて、4月から東京の病院に来る予定で、せっかくだから弟がいるうちにそこで人間ドッグをやれと。
それが3月の半ば。
そうしたらそのままそこの病院は入院の手続きを取ろうとする。
いや待て。


驚いたのは誰よりも父親だった。
自分はずっとみんなの面倒を見る側、自分がまさか、って。
最初は早期の発見だってことだったが、いざ入院に行った初日に進行癌だと。
最悪胃を全部摘出しないといけないと。
年齢が年齢だし、さすがに家族も焦った。
弟がどう思っていたのかはわからないが、早期発見で動きの鈍い癌の反対語が進行癌だから、気にするもんじゃないと鼓舞する。
弟なりの気の遣い方だったんだろうが、それも父親には逆効果。


手術をどこでするかも父親は悩んでいた。
自分の勝手の知った東京の病院でするか、それとも弟の勤めている病院でするか。
設備や規模の問題で長野の病院へ。
結果的によかったんだろうが、家族としては当初は都内でやってもらいたかった。
3月末に入院をし、4月1日に手術。


ウソのような、4月の1日。


新年度の人事も気にはなっていたが、会社を休んで長野へ。
俺と母親、父方の伯母、母方の叔母が立ち会った。
弟は新しい病院の初日だったから、立ち会えなかった。
手術前の父親はびっくりするぐらい神経質になっていて、執刀医の説明がないだとか、担当看護婦の挨拶がないだとか、局部麻酔でやってくれだとか、完全にパニックになっていた。
俺だって、ここ数年びっくりするような負荷がかかったことのないような人間に、いきなり胃を取り出すような手術を受けさせると思うとかわいそうで仕方がなかった。
俺だったらまだいい。
運動もして、仕事もして、恋愛もして、その中で死にたくなるぐらいの負荷がかかったり、絶望で足が一歩も前に出ないようなことを日々経験していればその延長で考えられたかもしれない。
それなのに、眠りからさめていきなり溺れるような、そんな急展開なことを父親にやらせるのかと思ったら恐くて仕方がなかった。


結局執刀医も父親の高校の後輩だということで、スタッフも3月まで弟の面倒を見ていたということで、そんな環境で手術を受けた。
手術は5時間。
終わって呼び出されて、執刀医の説明を聞く。
すぐ脇に摘出された胃と胆のう、胆石が置いてある。


癌を初めて見た。


「細かい検査はまだ残っていますが」というが、概ね安心できるものらしい。
まあ、細かい手術は残っているが。


医者からみれば胃癌は盲腸とかと同じみたい。


けど、家族にとってみりゃ一大事。
ありがとうございましたとしか言えない。


父親もよく頑張ってくれた。
手術が終わり、今後のことを話して11時頃病院を後にする。
深夜の高速で家路につく。


次の日からは痛みで大変だったと、その後母親からメールが来た。
そりゃ胃を切り取ってるんだ。
痛いはずだ。
乗り越えてくれとしか言いようがない。


あとから聞いたが、全部摘出しなけりゃいけないって判断は手術中にわかるもんで、結局家族に委ねられる。
父親は保証人の欄に母親ではなく、俺の名前を書いていた。
確かに前日住所を訊かれたが、緊急連絡先ぐらいに俺は考えていたのだが。
勝手なもんだ。


父親がずっと苦手だったのだが、高校の頃から続いた雨の日の関節痛のような反抗期は、胃癌と共に取り除かれたのかもしれない。




そんなことがこの1ヶ月あって、昨日一昨日も会社の休みを利用して見舞いに行って来た。
検査の結果はまだ出ていないのだが、それを聞いてやっと手術は完了する。


帰りは足をのばして上田城へ。
上田城の脇には陸上競技場があって、そこは中学高校と夏合宿で毎年利用していた場所だった。
13年ぶりに目に入ったときは、懐かしさでしばらく声が出なかった。
写真で残っても、記録で残っても、その場に立って記憶を掘り返したときの凄まじい気持ちの高揚は特別だ。
13年間をすっ飛ばしたような気持ちになった。
桜は満開だった。




そんな家庭の事情も、年度変わりの仕事も、全部が慌しかった。
自分のことで精一杯になってしまうキャパの狭さは相変わらずだ。
周りはどう思っているんだろう。
結局物事はちゃんと結論を前提に逆算しないと何もできないなと。
有言でも不言でも、意識すればできるんだろうし、意識しなければできない。
みんなそうやって、ちゃんと日常の時間の流れに振り落とされないように頑張っているんだ。
不平不満や言い訳を言っても何も始まらない。
今日の俺のパフォーマンスに関係なく、明日は明日で全力でやらなければならない。
周りはお前の事情なんて知らねーよって、そういう意識でやらないと。





行こうよ行こうよ。








そして年末はシカゴに行く。