スプリングウェイブ

去年から会社のリフォームの部署で実家マンションのリフォームをお願いしている。



去年はキッチンとトイレをリフォームし、昨日は家に帰ったら畳とカーテンが新しくなっていた。
家のリフォームに関してはメインで打ち合わせをしていた母親が相当喜んでおり、自分で家庭内で満足のいくプロジェクトを計画する、そういうことが嬉しいもんなんだなと今更ながら実感する。
喜ぶ母親を見て、こっちもいい提案ができたことに嬉しくなる。
これでプレゼントだったらもっとよかったんだけど、そこまでは力及ばず。



先日出社前に、弟の大学卒業の記念に家族写真を撮りに行ったが、その日の午後に弟が試験に合格したと連絡がはいる。



6年前、前期試験に挑んだ弟は、周りの雰囲気にのまれて力を発揮できなかった。
浪人の受験生が多い大学の入試に、弟は単身学ランを着て乗り込んだ。
アウェーで返り討ちにあい、意気消沈したまま後期試験に突入。
合格発表も行かずに、一人で現役の受験に幕を下ろそうとしていた。
家族が寝静まった後にインターネットで合格発表を見るだけ見て、そこで初めて合格していたことを知り、大泣きしていた。
弟の要領の良さにコンプレックスを感じていたが、弟は弟でそれでも結果を出してきた俺にずっと負い目を感じていたそうだ。
そのまま6年間、ずっと一人で頑張ってきた。


通用するかわからないぐらいの勢いで乗り込んだまま6年間経ち、卒業式を見に行けば同学年の中心で同期をまとめあげていた。
弟を弟として当たり前のように見ていたが、大学から始めたラグビーの後輩に全裸で胴上げされていた(親の目の前で)弟は、自分が思っている以上に立派だった。




春は卒業や入社などの大きな節目がない限り、毎年毎年怠惰と憂鬱さに飲み込まれることが多かった。
別れることも多かったし、「春はロクなことがない」と機嫌を悪くし、自己憐憫で傷口をいじるようなふりをし、毎日に忙殺されることを自分から望むような行動で、嫌なことを全て後回しにしていた。




節目は気分転換じゃないし、節目で気分が新たになることを望んじゃいけない。
そういう状況では、節目を迎えても気分は新たにならない。




リフォーム担当の先輩と初めて腰を据えて話をした。
急ぐつもりも焦るつもりもないが、行動は急ぎ、焦り、機嫌の悪さが顔に出ていた。
そんなことを指摘され、また家族の節目を受け止め、今年は何か今までと違う見方で桜を見ていた。




桜や春に過剰な期待を寄せるのはやめることにする。
それでも桜を愛でる気持ちは変わらない。




人に対してもそう。
それでも愛でる気持ちは純粋で、変わらないものなのだから。