今日の出来事

部署の送別会があり、仲間が離れることになった。
10月からの、このタイミングでの会社の大きな組織変更で、離れる者、異動する者、あるいは雇用が変わる者と色々で、それも間に合わなかったり見切発車だったりで噂も飛び交い、正確な情報がリリースされないもやもや感の中でのことだった。



「◯◯さんの送別会だから」


逆に言えば、自分の異動はない。
誰もがまずそう思ってしまうような、ある種の不健全さが蔓延していた。
本社や子会社、人の異動が多い会社の中で、本社経験が長い人はわかっている。
自分の置かれる立ち位置や、しがみつく為に目の前の仕事よりも優先しなければならないことを。



それが嫌だったし、いつだって正直な感性の人は迷う。


飲み会の最後に、その先輩は言っていた。
この部署にいた2年弱がとても長く、新しい事への挑戦がとても困難であったこと。
勉強させてもらえる立場ではない年齢や、うまくいかない状況への焦りがあったこと。


涙ながらに語っていた。


辛かったのだろうし、それほどレベルの高い部署であったと自分も思う。


僕は彼が来た3ヶ月後に異動してきた。
同じ感覚もあったし、違う感覚もあった。
困難も感じたし、やれる自信も拾いながら進んだ。
違う種類の焦りもあった。


聞いていて感じたのは、その先輩が悩んでいることが、共感もできるし、些細なことでもあると思ったこと。


本社子会社の出向や異動が、この会社にいる時間が長いほど苦しくなる人が多い。
けど、特にこの部署で言えば半分は中途の人だ。
転職をしてまで入ってきた人たちもいる。
それぞれの人に覚悟があり、それぞれの人に武器があり、持ち味がある。


異動はその先輩自身の希望だったという。
僕は彼が、自分の武器が見出せない焦りが出した結論なんだろうなと感じた。
武器をたくさん持っているのに。



そういう意味で、焦る気持ちは共感できたが、出した結論は共感できなかった。


みんなそれぞれの覚悟があるわけで、覚悟って言うのは不退転の決意と自分の武器を再確認することで、武器や荷物を確認できなかったことが原因なのではないかと思った。
水も食料もある。
行き先もわかっている。
それだけでいい。
今なかなか辿り着かないとか、そういう焦りはもちろん大事だが、焦ったときに廻り道はない。


そういう覚悟を持った集団にいたことを、彼ならきっと気付くだろう。