ここんとこのまとめ

ふと気づけば、一瞬で二ヶ月以上が経過していた。
盆明けからの話。
とっくにクールビズも終わっていた。


時間が追いかけてくるなんていい表現で、完全に置いてけぼりにされている気分だ。
すなわち、問題ややることが山積していて一向に余裕のあるフェーズに辿り着かない焦りが、問題ややることと同じく山積してきている。



どこかで歯止めをかけないと、死ぬまで何かに追われながらいくんじゃないかとすら感じる。
客観的に見れば、同じスピードで成長しているのかもしれない。
組織の中での役割もさらに明確になってきている。
しかしそれでも悪性か良性かわからない腫瘍と付き合うかのような、案じても切りのない不安が襲ってきている。

ここんとこの仕事の流れ
銭湯に行き始めた話
大海と会ったことについて


少し受注に手こずり、苦しみながら9月の半期末を迎え、協力してくれたのは自分のルートだった。
ただ、いまいち仕事に集中しきれない自分がいた。
原因はなんだかわからない。
会社への、そして自分への苛立ちもあっただろう。
他の部署への怒りもあった。


そして、次から次へと来る仕事を、完全になくならないまますごしてきている。
この悪循環が、どこかで断ち切らないといよいよまずい状況になってきている。


要因はメンタルだろう。
例えば、持病の体質も突然襲ってくる。
来るのはわかっていたが、体系的にまとめ、考えて迎え撃つということをしてこなかった。
すなわち薬に頼っていたツケである。



自律神経の乱れらしい。
交感神経と副交感神経のバランスが崩れると、人によってはアトピーになり、またアレルギー性の鼻炎などの疾患になり、あるいは喘息になるとのこと。
また、季節の変わり目で気圧の変化が急激だったり、台風が通過するような時期にそういった反応に過敏になるという。
予防として交感神経と副交感神経のどちらが過度に働いているかを見極め、反対側の神経が活発になるよう働きかけるべきだという。


なるほどそういうもんなのか。
毎年苦しんでいるのに、目下の苦しみから逃れるためだけに皮膚科へ行き、処方してもらった薬で対処するだけだった。
根治というか、そもそものメカニズムを知らなかった。


そんな折、引っ越した先に見つけた銭湯に通うことになった。
たまたまだったが、これが気付けば習慣になった。
人前で裸体をさらけ出せるようなコンディションではないとか、そういう羞恥心はもちろんあったのだが、サウナが本当に気持ちが良い。
サウナと水風呂の交互浴をするようになった。


知り合いもできた。
一人は30年以上早稲田に住んでいる地場の方で、一人はボクサー。
減量中だそうだ。


一日を遅い時間まで仕事に費やし、消耗しながら帰ってきてからの銭湯や食事、そんな時間がスイッチとなり、本当にリラックスできることがわかった。
そんなこんなで、毎日銭湯。
気持ちいいったら、ハンパない。


なんというか、時間に追われる中で自分を律し、整理して、丁寧に生活するって大事ね。
独身の自分ですらそうなんだから、家族を持っている人は尚更だろうなと感じる。


体調も徐々に回復の兆しを見せてきたところで、中学高校の同窓会があった。
前回行かなかったので、赤組のメンバーや早川先生以外と会うのは久しぶりだった。
大海に会うのも10年ぶりくらいだった。
大学で同じクラスだったので、その時代は結構一緒にいる時間が長かったのだが、お互い(というか俺自身)が自分の言葉でちゃんと話をすることができるようになってからの再会っていうのはとても嬉しいものだった。


ちょっと前に小学校の時の同級生の生くんの結婚式もあり、そこでは20年ぶりの再会もあったのだが、それも緊張してしまい、結果大人になった自分の再確認ができたのだった。



自分の言葉で話すとか、何なんだろう。
世間では、例えば10代20代のスポーツ選手なんかが立派に会見をしたりインタビューを受けたり、同じ世代のリーダーたちが様々な発信をしている中、そんな特殊な環境にいない大部分の人間は、「自分の言葉での発信」って少ないと思う。
自己表現の場って言えばいいのかな。


けど考えてみたら、仕事でのプレゼンや商談、全部自己表現の場であって、そこで「プロセス」とか「手順」とか「落とし所」とかを気にしてるから何か自分の言葉や表現で発信をしている気がしないんだろう。


そう考えたら少し楽になって、思っている以上に遠慮している自分がいることもわかって、遠慮したり躊躇したりしている時間が本当に無駄に思えてきた。



そんなわけで、先送りにしていることから片付け、物事を整理し、シンプルに考え、丁寧に、かつ受身にならずに生活をするっていう全く変わりばえのない結論に落ち着くのだが、そういう当たり前なことをしっかりやれば仕事の大部分は完成だと思う。