極東最前線

不動産・建設業にしろ他の産業にしろ、20世紀はその多くがゼロからのスタートだった為、その中で「産業」というくくりの中で様々な試行錯誤を経て現在まで来ている。
不動産や建築に関して言えば、これは20世紀に限らず古くから存在するもので、衣食住の「住」であり、同時に権利の売買であった。
そのためこれらに付随する法律的な側面が大変重要で、日本という統治国家の下に生活をするということは、その中に張り巡らされている法律という包囲網を理解することと同義である。
この土台の上に「産業」というくくりで企業が営利目的で成り立つようになったのが20世紀であり、そこに多くの課題が生まれてきた。


そもそも建築なんてものは昔は地域の腕のたつ大工や職人に頭を下げて「お願いします」とスタートするもので、屋根まで組みあがればお祝いをし、完成すれば関係者一同で労をねぎらったものである。
それを「産業」として成り立たせ、工業化を推進し、大工や職人の技の継承が少なくなっても大丈夫な組織を作り、金銭消費を促す経済基盤にしたことで、その形態が明らかに変化を遂げた。
これはプロセスはどうであれ、戦後の日本の経済を立て直すためには必須の事項であったし、全ての建築物に一定の品質を保証するには工業化をするプロセスが必要であった。
これは地震大国である日本の国土を所有することのリスクを少しでも軽減したいという願いでもあった。


ただ、一旦「民間企業」として軌道に乗り始めると、営利ばかり追及し、その姿勢が否定されるものではないにせよコンプライアンスや法規制に疎くなり、社内社外でのトラブルや錯誤が増えてくるのも事実である。
特にバブル期を経験している世代は審査や目論む目線が非常に甘い。
何を担保に、どんなリスクを冒そうとしているのかを自覚しながらプロセスを進めるという習慣がないまま成熟してしまっている。
結局顧客満足も信用も得られないような、「名ばかり」の企業や産業が増えてしまっている現状に何も警笛を鳴らせないまま押し流されている。


営利目的で仕事をすること、経済の最前線で戦うこと、目に見えない「満足」を確実に提供することは民間企業の存在意義でもあるしそれを追及する姿勢は尊いものだと感じている。
ただ、いざ実行する際に理論武装ができていなかったり、管理やチェックバックが杜撰だったり、後継者不足に悩まされていたり、本来の業務に差し障りのあることが多すぎる。
これらは「教育」であり、何かのマニュアルに載せて伝承すればいいというものでもない。
言わばミームである。
そしてそれが企業風土を形成し、その風土に賛同、共鳴した人間がさらに集まってくる。
この循環を確立するためには、ただひたすら信念を持って教育をしていくしかない。
民間企業は仕事を取ってくる行為にスポットを当てがちだが、企業文化を伝承し、守り、より良く改善することにも注力をするべきなんだと思うが。


そんなわけで法的な裏づけをしっかりつけるために資格の勉強もしようと思うわけです。
こんな動機。
余談だが、実務経験の有無もやはり大事。
資格持ってるだけじゃ意味がない。