終戦記念日考

今日は人と会う予定もなかったし、富士山の疲れも残っていたので、休み中にやっておかなきゃならない現場の確認なんかも兼ねて志木の先まで午前中車で行っていた。
夏空の下、車内のクーラーも消し、窓全開にして現場や役所を回った。


終戦記念日だということはラジオを聴いてればわかるが、今年それが少し距離の遠いところにある気がしたのは、日本の意識が全体的に3月11日に向かっていたからかもしれない。


そんなわけで、66年前の今日もこんなに暑くて、蝉の鳴き声が響く夏の日だったんだろうなあと思い、過去に書いた記事を思い出していた。



社会人2年目。
少ない情報ながら、自分の感性を見つめてよく考えていたと思う。

ちょっと前ですが

戦後60年の特集がたくさん組まれていて、俺のお客さんがそれを教育の一環で息子に見せるだの何だの言ってまして、俺はこの夏そういうものは一切見なかったんだけど、なんかおかしいなーってことで書きます。


というのも、日本の第二次世界大戦の話は「戦後○○年」とか「終戦記念日」とか「原爆の日」とかでしっかり記憶されているんですが、現在の世界情勢にリンクしようという姿勢があまり見られません。


現在、世界中でテロをはじめとする国家、民族間の闘争が多々起きていて、各国の指導者はそのナショナリズムと正義を掲げて主張を繰り広げています。


ある者は言葉で、ある者は武力で、ある者はメディア戦略を使って。


私たち日本はというと、現在は某国の圧力を感じながも状況を見て、全て後手ではありますが活動を行っています。


しかし60年前にはあれだけの戦争の引き金をしっかり引いているし、そこには国家の思想、経済的な背景、民族としての背景、独裁的な指導者や政府の体制などが全て盛り込まれています。


そこで得た事実を今の世界情勢に還元するような働きがない、またそれに対しての議論が少ないのはなんでだろうと思うわけです。


フセイン後の暫定政権をどうするかっていう話が出た時点で日本は「俺らもそれやられたよ」ってもっと主張していいはずでした。
よかったこと、わるかったこと。
こうすればもっとよかったとか、あの時こんな目に遭いましたとか。


そういうリンクが第二次世界大戦と現在の世界情勢にはたくさんあるのに、メディアは再現ドラマをやってみたり、追悼式に誰が参加しただの言ったり、60年の時を経て再会してみたり、そんなのばっかでした。


もちろんメディアとしてタブーな部分もあるのだと思いますが、タブーかどうかもわかんないわけです、視聴者は。
第二次世界大戦の恐ろしさを知りました」とか「忘れてはいけない日本の傷です」とか言ってる場合じゃない気がします。


それをふまえてのアクションがおきないと10年後だって同じドラマを違うキャストでやるだけです。
60年前に再会できなかった人を70年ぶりに再会させたり戦争経験者が何人残っているか調査したりするだけです。
それしか8月にやることがなくなってしまいます。


過去の事実を現在に伝えるのはもちろん重要ですが、そこにあったそれぞれの思想や正義(僕は最近正義って言葉の使い方が非常に好きです)をあらゆる機会に話し合うべきなんじゃないかなーと。
そしてそれは8月になってからのみやるんじゃなくて。



そんなことをちょっと感じました。


合コン行ってくる。


Last updated  Sep 14, 2005 10:00:16 AM