rolling around on the rough ground

泣けるほど毎日が雑になってきていて、それが1人の問題ならいいんだけど周りに迷惑をかけている自覚が何とも苦しい。
余裕がなくなってきているのを実感しながら進むってのは、オーバーペースで走り始めたけど引っ込みがつかないってう800m走ってるような感覚なんだろう。
しかもそこでさらにペース上げなきゃなんないという悲惨な状況。


難しいのは陸上競技みたいに距離とゴールが決まっているわけではなく、突然ゴール地点が変更になって遠のいたりするのだ。
それも目の前で。


そんなわけで煩雑に散らかっている脳内やここ最近の生活を振り返ると本当に泣けてくる。



「今日は◯◯まで行って、おいしい◯◯を食べて来ました〜


(食べる前のテーブルの写真)


おいしかった〜
明日は家で餃子を作ろうっと!」


なんて類のBlogを書いたらどんなに楽だろうと、そういう腐り方をしている。
ダメだ。
雑なんだよ生活が。


今年定年を迎えた上司を見てて思うのは、その丁寧さ。
要は、体が覚えているのだ、彼の場合。
だから行動パターンも動作のパターンも、社内での仕事の仕方も、無駄なく定型の「型」がある。


俺はといえば一喜一憂しながら、感情をぶちまけながら仕事をしているので、そりゃ雑にもなるし取りこぼしもある。
調子がよかったり自信があるときはまだ、それでも突き通すエネルギーがある。
だから尚更煩雑さに気がつかない。
草木の生い茂った山道に入っても、構わず進んでしまう。
「先に草刈りしとこうか」
なんて発想にはならないのだ。


逆にエネルギーが枯渇してからは雑な部分ばかりが現れてどうしようもならなくなる。
もうフォームがバラバラって状況。


若いとか蒼いとか、残念ながらまだその域なのだ。



木鶏への道は未だ見えず。