プレイバック2009

これを読めば俺の2009年が全部わかってしまうすぐれもの。
長いけどすっとばす(真島君)


たまたま神宮前で調査したときにこれなんだったっけ。

原宿団地だ。



再生に向けたプロジェクト。
こういうことをやってるところがあるわけで。

ビアマイルとか。



渋谷駅伝とか。

久々の駅伝は非常に興奮するわけです。

スタートのヒロシ。
非常に細い。

細すぎた。

対して俺は太い。
きつかった。
2.8kmで11分。



あなたがKREVAいいのに

会いたいと思うその時にはあなたがいない


桜上水の展示場で、学生の作品の講評会に出た。
何故かパネリスト。
学生の意気込みや、意気込めない部分や、表現したくてもできない部分や、なんだか知識ばっかりついちゃってるとことか、そういうのはどこの大学でも同じなんだなって思った。
そしてそれは殆どが社会に出てから削ぎ落とされてしまう物凄く大事な部分だってのも。

Russ帰っちゃった。
結構色々話した。
恋愛の相談もした。



ウィスキーはちゃんと味わった。
結局ArdbegとLaphroigは家にあります。

金融機関との共催で、不動産に関するセミナーを企画し、講師としてプレゼンテーションをした。


自分の中では最低なパフォーマンスだった。
反省。
次は来月6日。



色んな経験をし、スキルを磨いてきた。
それでもまだ何もかもが不足している。


千里の道も一歩から。

セミナーもたくさんやった。
金融機関で共催のセミナーやって、講師俺。
こういうとき資格の一つでもあれば紹介楽だなーって思った。
ないから少し困ったんだよ。
でもそんなことより人前で喋るのは場数なんだなって痛感。
こうやってキャリアを積んでいくんだなと。
「喋れてない」とか「早い」「遅い」とか、「客が寝てる」とか、そういうのはやってみて言えって感じ。
とにかく悔しかった。


そう胸のフィラメントが呟く


Gerardも帰っちゃった。


2月に、中学一年生からの同級生が亡くなった。

中学・高校・大学と同じ。
留学もし、ライブドアにも勤め、野村證券にも勤め、起業をしようともし、誰もが期待をよせていた。
あの2月は、いろんなことに混乱をした恐ろしい1ヶ月だった。

ミナトが結婚した。
だからまたオオタが映画を撮った。




2×2で初顔合わせ。



仕事ではお客さんとたくさん打ち合わせした。
子供勉強中。

まわりまわってこの実感

また、マッキンゼーには予算や利益目標は存在しません。
最終的には、利益を頂くビジネスには違いありませんが、我々はビジネスとは呼ばない。
「プロフェッション」と呼びます。
当然、商業的に成り立っていなければいけないわけですが、あえて我々はその商業的な要素を徹底的に排除するのです。
もし経済的な成功があるとすれば、それはアウトプット、つまり結果であって、それを目的とはしない。
むしろ、インプットに徹底的にこだわるのです。
質の高い人材を動機付けし、成長してもらう。
そこは妥協しません。
インプットの質が高まれば、結果としてアウトプットが高まる、という考え方です。
つまりアウトプットを最大化しようとするのではなく、インプットの最大化に努めるわけです。

横浜にも言った。


なかなか土日参加できなくて、せめて撮影の手伝いだけでもしたくて車を出した。
ちなみに朝日をバックに走るシーンを撮っているのだが、当然ながら朝日が出る瞬間に撮らないとならない。
4時起き。




新郎走らされて死んだ。


オオタはやっぱり監督だった。


夏のシーンも撮った。
夏の写真くらい夏に撮っとけっつーのこの二人。
これ3月よ。


そして当日。





住み慣れた展示場も最後。


いろんなことを経験して強くなった。


おでんも食べた。


吉祥寺の「おでん太郎」
入口がわからなくて慌てたけど、女将さんがほかほかな雰囲気でした。

俺たちはdream believer
誰だってそうfreedom

パラカップハーフマラソンデビュー。



走った後のビールがとにかく効く。

俺ここらへんから記憶がない。


現場もたくさん行った。
自分の担当する現場だから、やっぱり時間割いていくんだがなかなかそれすらできなくなる。


大学の陸上部の同期会。


ポールボギュースとか


上司に恵まれたり。
しこたま呑んだあとにカツ丼を喰らうヒロシ。

後輩と元同期。


ロッキンオンジャパン


屋台いい感じだった。

ロックな人。




泊まってまで二日見るって、こんなにしんどいとは思わなかった。
このあとピコさんは足裏揉んであげたら一瞬で落ちた。

二日目も怒涛。






まずはプレイバック

2004年夏




2005年夏





2006年夏



2007年夏




2008年夏



そして素晴らしい世界2009今年は雲海



8時過ぎ、五合目到着。
登山開始。

休憩中ヒロシはカメラと格闘。

夜空に輝くのは月。
月の出が22時頃、月の入りは10時頃。
今年は新月から22日目の月。
何という小学生の時の知識。
http://contents.kids.yahoo.co.jp/hoshizora/
更待月というらしい。


頂上には今年は3時に着いた(汗)






疲れが吹っ飛ぶ瞬間。
今年は初登頂以来久々の濃い雲海。






駒ヶ根高原ラソン(中央アルプス)





15km

Results:
1h05m46s/43th

アップダウンで死ぬかと思った。










神の国遥か島
























塩尻の親の実家に行った。








奥多摩駅





クリスマスは、アルマーニレストランに行きました。
いつもそういうことしないから、たまには。

今年も仕事漬けだったが、考えてみれば駅伝に出たり富士山に登ったり、そういうことも例年にも増してできた一年だった。
個人的にはNew York Timesに載ったのもでかい。


一年あっという間だったけど、前半の渋谷駅伝とか1月のセミナーとか物凄い昔みたいだ。
4月で異動したからってのもあるけど、移り変わりについていくのに必死だった。
仕事に関して言えば相変わらず不満も多いが、自分なりに見る目線が高くなった気がする。
あと、あんまり圧力に屈しなくなった。
さすがにアタマの奥底では物凄い抵抗物質が出ているのよ。
物凄い不満となって。
けど、それと自分の行動とは別なんだし、変な話生意気だからクビってもし言われても、それはそれでありかなと。
今までは仕事そのものに疑問を持つ時期があった。
けど、今は仕事には疑問はない。
俺がやらなきゃいけないことってのは俺がわかっているハズだし、新入社員じゃないんだから言われなくたって自分で考えて動くべきなんだ。
目的があるだけで、手段は決まっていない。
もしかしたら目的もこの会社はブレ始めているのかもしれない。
それって俺がなんとかできることなのか?



なんとかできることなんだと思い始めたんだよ。